HSK6級取得までの中国語学習を振り返って

中国語学習を始めてからかれこれ10年以上経つ。己の怠惰ゆえにHSKの6級にたどり着くまで10年近くかかった。世の中には短期合格を成し遂げたすごい人たちがたくさんいるが、ダメな例として三歩進んで二歩下がるような学習者の記録も残してみようと思う。のろのろペースで勉強している人の参考になれば嬉しい。

大学の第三外国語として中国語を受講

入門レベルの授業を受講

かねてから中国に興味があったのと、第二外国語がヨーロッパの言語だったのでまったく違う語族の言語を学びたいという興味から、大学2年生の後期に中国語の科目を選択した。ピンインも声調も全くわからない状態からのスタートだったので、順当に入門クラスから受講することになった。単純な興味からなのか、就職で役に立つと踏んだのか理由はわからないが、入門クラスの受講者は教室がぎゅうぎゅうになるくらい人数が多かった記憶がある。

半期でちょうど終わりきるように15回で章立てされた教科書は、基礎中の基礎とでもいうべき内容で、中国出身の講師から声調を厳しく指導されながら学んだ。興味深かったのは、日本育ちの中国人受講者がいたことだ。

中国人なんだから話せるだろう、さては楽に単位を埋めるために受講しているのだろうかと邪推したが、授業中に指名されて教科書を音読させられた折に、講師から発音を直されていたのを見て、なるほど日本育ちの中国人ともなれば、家庭内の会話は両親の出身地域の方言であり、普通話を話す機会がないのかもしれない。

英語で言えば中1レベル、HSKであれば1級相当だろうか。内容自体は非常に平易だが、日本語にない声調という概念と、一見規則的に見えてそうでないようなピンイン、er化に躓きつつ半期を終えた。声調は2声と3声の違いに戸惑ったが、教科書に載っている二字の単語の発音練習を繰り返しておおよそのパターンを把握すると、理解が進んだ。日本語よりも音の起伏が大きく、威勢よく響くのが面白く思えた。

筆記試験に関しては他の外国語科目よりも圧倒的に楽で、漢字文化圏のありがたみを嚙み締めた。

初級レベルの授業を受講

中国語の雰囲気をおぼろげに把握し、中学生のときに好きだったレッドクリフの映画のテーマ曲も口ずさめるようにり、楽しくなってきたので後期に初級のクラスを受講した。今もあるのかわからないが、当時は大学も中国語科目の拡充を図っていたのか、講師と学生1対3のクラスを開講していた。これ幸いと受講を申し込み、開講初日に行ったらば学生が2人しかいなかった。講師は他大学の院生だったこともあり、非常にフランクな雰囲気で授業が進んだ。今にして思えば贅沢なことだ。

人数が非常に少ないので、発話の機会も多く、発音の修正をたくさんしてもらえたのは良かった。「君が下雪というと、下血と聞こえる」と言われたのは今でもたまに思い出す。東日本の人間にとっては、円唇のuは言いなれないので、xieに聞こえやすかったのかもしれない。

ここまでの学習で大体HSK2~3級くらいのレベルだと思われる。

台湾に短期留学

大学三年の夏休み期間に、大学が主催する短期の語学留学に行った。私にとっての初台湾だった。

東海大学だったか、どの大学だったか忘れたが、郊外にある大学の華語中心の教室で院生が中国語を教えてくれた。それまで自分が大学で習っていた中国語は大陸の普通話と比べると、台湾華語あるいは國語とよばれている「中文」は、初中級のレベルであったとしても発音やer化の有無、語彙の面においてそれなりに異なるところも多く、それまで頭の中に構成されていた中国北部的中国語の体系がぐらぐらする経験だった。

普通話の場合は喉の奥の方から発声しているように聞こえるが、台湾の中国語は口の前の方で調音しているのか聞き取りやすく、また、反り舌が弱い等の特徴もあり、台湾の中国語は日本人にとって学びやすいように感じられた。

主な教材は先生が刷ったプリントだった。これまで簡体字で学習してきたので、繁体字に慣れるまで暫く時間がかかったが、慣れてしまえば繁体字の方が視認性が高く、理解しやすい。日本が戦後しばらくまで使用していた旧字体とほとんど同じであるので、繁体字を理解できるようになることで、日本の戦前の書籍も読みやすくなったのは嬉しい誤算であった。

大体3週間ほどの研修の最後には学校内のホールで中国語を使った学習発表会があった。学習発表会といっても堅苦しいものではなく、中国語で歌を歌ったり、演劇をしたりするゆるめの催しである。自分たちのクラスは先生の提案もあり、張懸の「宝貝」とTransitionの「對不起我的中文不好」を合唱した。平易な歌詞なので外国人の中国語学習者にしばしば歌われているようだ。中国語の場合は歌のメロディと別に、正しい声調を確認する必要はあるものの、いい感じの歌を歌いながら覚えるのは外国語学習における効率的な学習方法の一つである。

今でもありがたいなあと思うのは、日本人学生一人に「学伴」と呼ばれる台湾人学生のパートナー複数人がついてくれて、日常のご飯の調達や土日の観光等、色々な場面で助けてくれたことだ。英語での会話だったが、台湾と日本の違いや、たわいもないお喋りをしたりした。帰国後も暫く文通をしていたが、いつのまにか途絶えてしまった。今再会したらもっといろいろ話せるかもしれない。

片言レベルとはいえ、学校で習った中国語をすぐに実践できる環境はモチベーションの向上に繋がった。

大学卒業後に台南で半年間の語学留学

今の若い人からすれば完全に白眼視されそうな理由だが、働きたくなくて大学卒業後に台湾に行った。目的意識の低さ、将来への考えなしの態度に今現在の私が過去に行けるのであればひっぱたいてやりたいが、人文系の学部で地面から3センチくらい離れて生きてきた魂が矯められることなしに、そのまま南へ向かってしまったのである。簡単に言えばモラトリアムの延長だった。親と、生暖かい目で見守ってくれた友人たちの存在に感謝している。

台湾で中長期の語学留学をする場合、ビザを取った方が90日以上の滞在が可能となり、色々と都合がいい。ビザの発行には台湾政府に認定された語学学校へ入学する必要がある。これらの語学学校は、おおむね大学に付設された華語中心と呼ばれる外国人向けの中国語学習施設を指していて、必然その語学学校は大都市ほど多い。

語学学校の選定

今も変わらないと思うが、10年ほど前の当時、日本人が一番多いのは国立台湾師範大学、次点で国立台湾大学の華語課程だった。留学生というものはどの国の出身であろうと、とにかく同郷の人間同士でグループを作る習性がある。日本で大学にいたときに、四六時中イタリア人だけのグループで行動して、いっかな日本語の上達しない留学生を反面教師として、日本人の比較的少ない地域に行こうと決めた。

以前、旅行した経験から、台北は日本人観光客がとにかく多いうえ、台北の人達も日本人観光客慣れしていて、日本語を話せる人が多いことから真っ先に除外。いっそ台東や花蓮に行ってみようかとも考えたが、交通の便や日常の生活を考えると、台南か高雄あたりに落ち着き、どうやら台南の方が学費と物価が安いらしいという情報から、最終的に成功大学の華語中心に行くことに決めた。

現地に着いてから知ったのだが、台南は清の時代に発展した、いわば日本でいう京都のような位置づけの都市である。留学していた期間、週末は港に近い安平や市の中心にある林百貨店、喫茶店に行ったりと大いに観光を楽しんだのは良い思い出。

入学準備

語学学校に入学するためには英語か中国語で諸々の書類を書いて、申し込まなければならない。一連の作業を代行してくれる業者もあるようなので、これから語学留学する方でかつ不安な方は代行業者にお願いするのも方法の一つであるが、自分はそういったことを知らなかったので、自分で手続きした。

申込に際して先方に送る情報は、日本での住所、氏名、年齢、渡航する日付、宿舎の利用の要否などだった。こういった情報を学校の事務室に送り、入学許可証を発行してもらう。そうして、もしビザが必要であれば、この入学許可証を持って、東京の白金台にある台北駐日経済文化代表処という実質は大使館である場所でビザを申請することになる。

同時期に申し込む学生が多くて多忙だったのかもしれないが、許可証の名前の表記が間違ってたりで事務室の担当者と何往復かメールをやりとりした。

私は念のため、シングルの停留ビザを取得したが、シングルの場合は国外に出ると効力が無効になるので、取るのであればマルチをおすすめしたい。

ビザを取得しなくても、学期と学期の間の休み期間に台湾を出てマカオや香港や沖縄に遊びに行って戻ってくれば、また90日まで滞在できるので、ビザについてはそれほど神経質にならなくてよいと思う。取得するにしても、地方住の人間はわざわざ夜行バスやら新幹線を駆使して東京まで行かねばならないのはなかなかに体力的にきつかった。

ビザの申請の際に、窓口のスタッフのお姉さんから「台湾に行ったことある?90日以上滞在しても大丈夫?」と優しく確認されたのを未だに覚えている。大学職員より随分優しいなあと思った。

そんなこんなでビザを取得して、台南には授業が始まる一週間ほど前に渡航した。大学の管理する宿舎を使わせてもらえたので、家を探す手間、家賃もだいぶ省けた。

学費は現金で納めた。治安のいい台湾といえども、あまり大金を持ち歩くのは怖いので、キャッシュカードとしても利用できるプリペイド式カードを日本で発行して持って行った。学校の中にあるATMで紙幣を引き出して、事務室にそのまま持って行って支払った。

新学期が始まってから知ったのだが、どうやら日本より色々なことがゆるく運営されているらしく、授業が始まってから支払っていた学生もちらほらいるようだった。10年近く前と比べて、この点今は厳しくなっているかもしれないが。

学生宿舎での生活

日本にいたときに学校の事務室に宿舎が空いていれば入りたい旨を連絡したところ、成大學苑No2という学生宿舎を手配してもらえた。成功大学は数多くの学生宿舎があるが、成大學苑No2はキャンバスまで徒歩15分の距離にあり、東和路というやや閑静な場所にある。

私は運動がてら毎日歩いて登校していたが、宿舎の管理人さんにお願いすると、自転車を貸してもらえるようだった。宿舎で知り合った日本人の友人は、毎日自転車に乗って学校まで通っていた。熱帯地方なだけあって、5月も過ぎると日本人にとっては夏のような天気が続くので、自転車通学で日光を避けるのもいいかもしれない。

ちなみに多くの台湾人学生はオートバイで通学しているようだった。

宿舎の住人のほとんどは台南以外から進学してきた台湾人学生で、あとは語学留学目的の日本人学生や南米から来たと思われる学生、外国人の教授がいた。1階のロビーはソファと机が置いてあり、住人の共有スペースとなっていたので、各々勉強したり食事をとったりお喋りをしていた。

日本語を勉強している学生と言語交換をしたりもできるので、友達を作ったり交流したい人には向いている。

部屋には机、エアコン(クーラーのみ)、ベッド、テレビ、小さな冷蔵庫が備え付けられていて、生活に必要最低限の設備は揃っている。

バスルームはユニットバスと言っていいのかわからないが、シャワーとトイレと洗面台が一室にある様式。当たり前だがトイレットペーパーはセットされていないので、入居時までにトイレットペーパーを購入しておくことをおすすめする。台湾のトイレットペーパーは日本のものよりもやや厚手なので、本来の用途にも使うほか、ティッシュとしても使うことができる。

あとは、日本のように玄関で靴を脱ぐ習慣はないので、部屋の中を清潔に保っておきたいのであれば、部屋用のスリッパを用意して、部屋に入ってから履き替えると良かった。

宿舎の中には台湾ではおなじみの大きな給水機も備えつけられていた。飲用の冷たい水と熱湯を無料でいつでも利用できる。ちなみに、歯磨きは普通の水道水を使っていたが、やはり硬水独特のミネラル感があり、飲用にはきついと思った。お腹の強い人は大丈夫かも。

一階には共用のランドリースペースがあり、洗濯機と乾燥機を使うことができる。自分は節約のために、洗濯機だけ使って、あとは屋上の物干し場で乾かしていた。物干し場は紐が張ってあるところに宿舎の住人が各々勝手に干している状態だったので、下着の類は部屋干しした。なお、シーツは宿の管理人さんにお願いすると、定期的に交換してくれる。

宿舎の出入口は主に正面玄関と、1階ロビーの奥の方にある通用口の2つがある。通用口のほうは、24時間使うことができる。ゴミ捨て場はこの通用口の外にあり、いつでもゴミを出せて便利。

華語中心の授業

事務室で学費の支払いをしたときに、中国語のレベル判定のテストを受験するように案内された。当時の自分の中国語のレベルがヒヨッコの水準だったからなのか不明だが、レベル判定テストは大体10分もかからなかったような気がする。先生と簡単な会話をしたり、イラストの状況を説明したりした。

それから一週間後、華語中心(華語センター)での授業が始まった。ビザを取得している学生はその要件として一週あたり規定の授業数(週15時間以上)を履修しなければならないことを踏まえて、多くの学生は必修科目と選択科目からなるカリキュラムを作成する。

必修科目は小班と呼ばれるグループレッスンの基礎科目か、一対一と呼ばれるマンツーマンレッスンの基礎クラスを指す。小班は十数人程度の小クラスで、やはり台南といえども日本人が一番多く、次に韓国人、インドネシアやタイなどの東南アジアの人達、南米人達…という割合。

一対一は当時は今よりかなり割安だったため、自分は一対一で授業を受けていた。グループレッスンは毎日あって、3人の先生が日替わりで担当してくれた。華語実用視聴という台湾の中国語を勉強している層にはおなじみの教科書のユニット大体一週間で1つか2つ進めていくという感じ。

先生の中には日本語を話せる人もいるが、基本的に初級以降は中国語で中国語を教える直説法での授業である。耳が慣れるまでの最初のうちは、何度も聞き返してしまったが、だんだん慣れてくると、こちらも初中級の早い段階から、日本語を介さず中国語で考えながら聞いたり話したりできるようになってきた。頭の中で何が起きているのか不思議な限りである。

自分は授業が始める前に、己の中国語能力の至らなさゆえに先生とコミュニケーションが取れるのか心配で心臓がバクバクしていた。しかし、いざ授業が始まれば、先生はこちらにもわかりやすいように時に筆談を交えつつ、平易な語彙と文法を駆使して授業をしてくれたので一安心した。プロってすごい。

ただしマンツーマンレッスンで注意すべきは、使用するテキストは同じでも、先生によって教え方のアプローチが違うので、人によっては先生と合わない場合があるということだ。コミュニケーションは相互の問題って昔の偉い人が言ってたけど、合わないときは事務室に相談したほうがいいかもしれない。

あとは小班の人には必修、一対一クラスの受講者にとっては規定の15時間を埋めるための科目として、グループレッスン方式で行われる発音や文法の授業があり、一対一の受講者にとっては、他の学生と知り合うよい機会となった。

グループレッスンは一対一の授業よりも発話の機会が少ないのが勿体なかったので、授業中は先生の話していることをワンテンポ置いて小声で真似していた。私は注意力散漫な質で、グループレッスンは何もしていないと意識「無」の時間が発生しがちだったので、シャドーイングを己に課していた。

授業の空き時間には自習室として開放されている華語中心内の教室で勉強していた。空調が効いて寒いくらいに涼しいので、いつも人がたくさんいた。

私は人がたくさんいて落ち着かないときは、大学の図書館に場所を移していた。華語中心の語学留学生が図書館を利用するためには、事務室で手数料支払って利用カードを発行してもらう。テスト期間以外はそれほど混んでいないので必ず座れるし、涼しいのでしょっちゅう利用させてもらった。

期末考と呼ばれる期末テストは3カ月ごとのセメスターの最終週に行われる。一対一のテスト問題の構成は先生によって異なっていて、それぞれの先生のカラーが出ていた。

この時期には、学校主催のイベントとして、火鍋店などでセメスターの終了をお祝いする会が開かれていた。先生や学生たちが一同に会してご飯を食べながら交流したりした。確か自由参加だったと思うが、ご飯がタダなのが有難くて自分は毎回参加していた。

毎日外食の日々

台湾は日本に比べて外食する人がかなり多い。一人暮らしともなれば、朝昼晩の三食を外食で済ますという人も全然珍しくないし、むしろ多数派である。ゆえに一人暮らし用の物件にはキッチンがない場合が殆どである。

宿舎の部屋もその例外ではなく、キッチンがないので外で食事を調達することになる。この場合の食事調達の方法は主に3つ。

  • 飲食店で食べる
  • 飲食店から外帯(テイクアウト)する
  • 露店で買う
  • コンビニで買う

大学付近は学生街を形成していて、いたるところに飲食店があるし、小路に入れば露店も賑わっているわで、基本的に食事の場所には困らなかった。食事のジャンルも台湾らしい料理から、タイカレー、たこ焼き、オムライス、パンなど幅広く揃っている。

自分は朝ごはんは宿舎の近所にあったパン屋で調達して、昼は友人と学校近辺の飲食店でランチを食べて、夜ご飯は学校から帰る途中に弁当屋さんで弁当を買うか、近所の飲食店で食べるという生活を送っていた。

しかし、どうしても野菜不足になってしまうので、たまに果物やサラダを買って栄養を摂るよう気を付けていた。

また、海外生活で恋しくなるのが日本食だが、成大學苑No2の近所には、日本の食品を扱うお店がある。時々、マルコメの味噌を買ってお湯で溶いて飲むとほっとした。

週3で言語交換

当時、華語中心の建物内には、学生が自由に使える掲示板があった。イベントの告知や求人募集など様々お知らせが張られていたが、一番多かったのは言語交換のパートナーを募集の張り紙だった。外国語を勉強したい台湾人や、中国語を勉強したい華語中心の学生がラインやメールのアドレスを記載して募集していた。

言語交換は、言語交流とかランゲージ・エクスチェンジとか人によって色々言い方はあるが、要は、異なる母語を持つ者同士でお互いに言語を教えあって交流しましょう、という活動を指す。

新しく学んでいる言語を上達させるには、インプットした言語をアウトプットすることが近道である。学校の授業だけでは、アウトプットの時間は不十分なので、私も言語交換のパートナーを探すことにした。授業で使っているルーズリーフに、名前と中国語による簡単な自己紹介、連絡先を書いて掲示をすると、数日以内に次々と連絡が来て、同性の3人の台湾人と言語交換をすることに決まった。

それぞれ、火曜日の夜、水曜日の朝、木曜日の放課後というように、曜日と時間を固定で決めて半年くらい、自分が日本に帰る直前まで続けていた。日本語と中国語を半々に話すはずだったのが偏ってしまったり、ドタキャンされることもたまにあったが、地元のカフェに連れて行ってもらったり、学校生活の話を聞けたりしたのは貴重な経験だった。外国人である私に配慮して、台語と呼ばれる台湾の言葉ではなく、國語(中国語)で話してくれるのだが、やはり学校の先生より台湾らしい発音をしているので、リスニングの練習になる。

HSK5級受験~合格

そんなこんなで台湾から帰国後、すぐにHSK5級を受験した。

台湾に渡って学校のレベル判定テストを受けた時には、大体HSK3級程度のレベルだった。そこから2セメスターの期間学校に通い、おおよそHSK5級の過去問が解けるくらいのレベルに到達した。

このくらいのレベルの実感としては、自分の場合、専門的な語彙や抽象的な語彙はわからないが、日常生活を送るにはそれほど困らない、という具合である。

(正直、文法が若干曖昧でも日本人の漢字理解力でゴリ押しできるHSKは中検に比べて合格しやすいため、中国語学習者にとっては、中検の成績こそが本当の実力を反映しているのではないかと思うのだが、一旦隅に置いておく。)

HSK5級の受験準備

受験準備としては、ただただ過去問を解いた。

公式の過去問題集をひたすらゴリゴリ解き進めた。

だいたいやり方は以下のような感じ。

  1. 1回分を時間を計りながら、解き進める。
  2. わからない単語があったら、線を引いておく。
  3. 採点をする。
  4. ピンインや声調がわからなければ確認する。
  5. わからない単語を真四角の付箋に意味と一緒に書き写して、部屋の目につきやすい場所に貼る。
  6. 問題文を声に出してひたすら読む。
  7. マンツーマンレッスンの担任の先生の前で、音読をして指摘をもらう。

問題集をパラパラと見て、半分以上は理解できそうであればこの方法をおすすめする。そうでない場合は、先に単語帳や教科書で単語を暗記してから、過去問を解き始めるのがよい。

自分は短期記憶が弱く、一気にいくつも単語を覚えられないので、付箋に覚えたい単語を書いて部屋の壁に貼っていた。このとき、反対語や類義語があれば一緒に書いておいたり、例文を書いておくと勉強の効率が上がるし記憶にも定着しやすかった。

そして、外国語学習では音読がいいと至るところで言われているとおり、やはり音読はやったほうがいいのだなあと実感した。最初はスラスラ読めなくても、10回、20回と繰り返すうちに単語や文型が頭の中になじんでくる。ただ、ひとりで音読していると、間違えたときにそのまま覚えてしまうので、学校の先生の前で音読をして、間違っていたら直してもらい、発音に変な癖がつかないようにしたほうがよかった。

HSK5級の受験結果

帰国してから一月も経っていなかったこともあり、耳が中国語に慣れていて、リスニング問題はかなり解きやすかった。

長文問題は知らない語彙にやや苦戦したが、前後からの推測で解き切った。台湾にいたときに過去問を一通り解いていたので、落ち着いて試験に臨むことができた。試験結果は8割くらいの得点だった。

働かねばならないという現実に直面したので、これ以降は中国語の勉強はほとんどしなくなってしまった。たまに他中華圏のYouTubeを見たり、ドラマを視聴する程度であった。

HSK6級受験~合格

前職の退職後、半分ニート状態になったので、数年怠けていた中国語をまた始めようと思い立ち、目下の目標としてHSKの6級を受験することにした。公式には明確に合格という判定はないので、旧試験で合格とされた6割以上の得点を目指す。

HSK6級対策①:テキスト

とりあえずレベル感を把握するために、公式の過去問を確認してみた。

5級と違って、自然科学や社会問題などやや専門的な内容も扱っている。なかなか馴染みのない分野については、そもそも語彙を知らないので、単語を覚えねばならん…というわけでネットの海で調べてたぶん一番評判が良いであろう単語帳を手元に置くことに。

高校時代に受験対策として学校から購入するように言われた『速読英単語』と似ている。音声を聞きながらひたすらシャドーイングした。20回、30回とシャドーイングを繰り返していると、自然と頭に単語が入ってくる。

HSK6級対策②:オンラインレッスン

台湾から帰国してからは、中国語を話す機会がほとんどなかったせいで、会話とリスニングのレベルが著しく下がっていた。

リスニングの練習をしながら、未習の文法事項を習得したかったので、オンラインレッスンを検討。色々と体験レッスンをした結果、ネットチャイナでレッスンを受けることにした。オリジナルのテキスト教材が各レベルごとに用意されているため、自分でテキストを準備しなくてもいいのと、なんとなく落ち着いた先生が多い感じがしたのが理由だ。

結局、3カ月毎日30分の文法のレッスンを受講した。最初の1か月はうまく聞き取れなかったり、言いたいことを言い表せないこともあったが、大体2か月を過ぎると中国語の記憶が蘇ってきて、頭の中で日本語を経由しないで中国語で文法の組み立てができるようになった。

HSK6級に合格

受験時の手ごたえは、受かるか微妙な感じだったが、ギリギリ6割強で合格の範囲だった。

反省点としては、①速く読む練習をしていなかったため長文問題で時間が足りなくなった、②時間配分の作戦を練っていなかった、③最後の作文問題のために簡体字を書く練習をしなかった、の3点。次に受験するときは、8割以上の得点を目指したい。

おわりに

大学生で中国語の学習を始めて、HSK6級に合格するまでにおおよそ8年くらいかかった。自分は、熱中すると寝食を忘れて没頭することもあるが、同時に飽きっぽいので、継続こそが大事(これは本当にそう)な外国語学習向きではないのかもしれない。それでも、8年ほどゆるゆるやっていれば、低空飛行ながら楽しく勉強できているので、何かの参考になれば嬉しいです。